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コラム「説く盛りどんぶり」 61杯目

自由選択の社会と事故責任と選択基準について

先日、お得意先でクレ-ムがあった。大事なお得意先で、食味に関するクレ-ムだったのですぐにお伺いした。飲食店である。
そこでそこのオ-ナ-に、競合他社の営業マンの「食味試験士」と書かれた名刺を見せられた。
話によると、その営業マンは、ある、評価シ-トを持って食べに来たそうである。フロア係やそのお店の社員の、お客様に対する接客度、注文からの時間、メニュ-の出し方、料理の食味度、ご飯の出来などをABCDEのランク分けし評価点をつけてオーナに提供したのだそうである。その評価を見ると、他の点はAないしBでよく出来ているが、ご飯がまずくC以下であると言ってお米の営業に入ったそうである。
敵ながらたいしたものだと思ったが、おかげさまで、お得意先は、私どもを信頼してくださって、「私はまずいとは感じないが、そう評価された結果を検証して欲しい」と言われ「もし問題があるとすれば見直しをするように」との要請を受けた。
当社にもそういうチェックシ-トがあって、それは自社のお得意先のために使っている物である。当然そのお得意先にも差し上げていた。具体的にその商敵を知っているが、以前に当社の物を見せた事があった。しかし相手はそれを参考にして、当社とは違い、他者に対する営業道具に使っていたのである。当社としては、あまり露骨に他社の商品批判はしたくないので、新規営業には使っていなかったが「他に使い方もある」という事を、返って知らされる事になった。うかつではある。
しかし、ここで問題にしたいのはその様な事ではなく「食味試験士」と言う名刺の事である。当社にも、お金と時間を掛けて、似たような名前の「食味鑑定士」の講習を受けた社員が居る。一応の勉強をし、社内、外で経験もし、その団体の主宰する試験も受けて認定証ももらっている。
「任意団体」ではあるが不特定多数で構成されており、利害を目的としない指示者の上に成り立っているものと思っている。良し悪しは別として、業界での認知度も高い。
が、しかし、あくまで、よく考えると、「任意団体」なのである。先のお得意先から「食味検査士」のお話を聞いた時、思わず「それ何ですか?そんなの聞いたことありませんが、何処の資格なんでしょう?そんなものはありませんよ、たぶん自分達で勝手に作ったと思えますが…」と言いそうに成った。
自分で、勝手に名刺を作って名のっても、任意であれば、もっと平たく言えば、自己承認であれば、当社の資格も彼の資格も、どちらも同じような物なのである。国家や行政が責任を持つものであれば、「紛らわしい」とか「カン違いを誘発する」とかで、取り締まりや指導や罰則を適応できようが、その類の物ではなく、同じような物なのである。いらない事をお得意先に言わないで良かったと思っている。言ったらヤブヘビに成ったのではないかと思う。

今、この国では、選択の自由と言う言葉と、自己責任という言葉が、自立したすばらしい未来のキ-ワ-ドみたいな感じでもてはやされているし、民営化と言う言葉が万能薬のごとく一人歩きしているが、果たしてそう言って手放しで喜んで良いのだろうか?
401K年金改革、徴税改革を伴った地方分権、ペイオフ等等、その他の大きな改革の実行予定が目白押しである。
直近では保険の予定料率の引き下げ問題がある。何処がどう変わって、誰が、何処が、最終的に正しい知識を教えてくれるのか?もし、不可効力的被害をこうむる事になったら、どういう理由で、何処に訴えればいいのか?それを誰に聞いたらいいのか?はなはだ心配である。
刑事犯罪的なものは、何とかしてくれると思うが、(これも最近怪しい)経済、金融、保険、など民事に関しての損得は、個人の自由裁量である。
カン違い誘発や、詐欺まがいなものが「自己責任」の名を借りて、もっと多く横行しそうである。
最近の例で言うと、電話料金自由選択制の「マイライン制度」がある。あの中で、自分にとって一番有利な物を、いったい誰が選べるのだろう?
企業に任せれば、自社のものが一番だと言って、自社のメリットだけを宣伝発信するのが当たり前である。
複雑すぎて選択する基準が無く、紛らわしくて理解できる代物ではない。(最初からすると、値下げ競争の結果、どれも同じように見えてくる)
新会社の保険にしても、安いとか有利の一点張りで、デメリットや他社との比較は、個人の自由選択で知る由も無い。全部自分で調べて検討しなければならない。
情報公開があっても基準がばらばらで整理できなければ、判断のしようが無い。勿論、情報公開は大事だが、信頼のおける民間の格付け機関やアドバイサ-機関など、「何か」が必要だと思う。しかし、今は全く無い。
先に「自己承認」の事を、心もとなく書いたが、一般には「自己」なのか「公」なのかの判別もつきにくい。今の法律では、被害が証明されなければ犯罪にはならない。こんなお寒い状況の中で、選択の自由と自己責任の時代を迎えることを知っていなくてはいけないと思う。
いつでも国は、社会的被害が広がって国民的事件にならないと、教訓を生かしての新しい動きは取らない。しかし自分がその最初の被害当事者にはなりたくないものである。
今までもそうだったが、今からはもっと、もっと、知らない者が損をする時代になる。これが自立した人々の、当たり前の社会なのだろう。
最終的に信頼できるのは、家族や、友人、知人など、自分自身のヒュ-マンんネットワ-クである。これはずっと変わらないだろう。


BON

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